原文参照 December 21, 2001 The role of Gnomes In Waldorf Kindergarten Diana Winters Waldorf in General, Description & Critique Articles |
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母親のほとんどが小人に魅了されます。小人はシュタイナー教育の宣伝にもっともふさわしく、手作りコーナーでもよく売れます。そもそも小さな子供が小人や妖精が見えるといい、おとぎ話に聞き入り、踊り始めるのを見て咎める大人がいるでしょうか。しかし、あの幼稚園の教師は真剣に小人の存在を信じています。そして、そのことを知らない父母もいます。小人のことは、かわいらしくて、ちょっと古風で素朴なシュタイナーらしいものの象徴とみることもできます。しかし、親が子供を小人にたとえて見ることができる部分は、実際はほんのわずかです。 父母の集いで小人作りを勧められていくうちに、だんだん小人は美化されていきます。あの小人の魅力に屈しないのは本当に冷静な人だけです。 明けても暮れても小人文化が生き続けているもう一つの場面があります。普通の親は、幼稚園で小人がどんな風に扱われているかをまったく知りません。例えば大人であろうと子供であろうと、人が責任をもって係わるべき事柄について、園では小人が叱られます。感情を反応に置き換えるのに、小人が使われます。世界はどんなふうになっているのかという子供の疑問を吹き飛ばすときも、小人が使われます。セックスや暴力や病気といった難しい話題に関する質問を小人が神秘化してしまいます。小人が理論的な話し合いを始まる前に終わらせ、常識を考えないようにしています。そしてあるときは脅威にもなります。小人が見えないという子供を混乱させます。 実際には、しばらくすると子供たちは小人に飽きてきます。シュタイナー幼稚園の子供でも小人に無関心な子も時々います。 それでも園では、ひねくれ者にならずに小人反対論を持ち出すのは、なかなか難しいことです。しかし、これはイメージと現実の問題でしょう。親というものは、子供が草の上でパワーレンジャーやポークマンの話をしているより、小人とおしゃべりしているのをみるほうがずっとうれしいものです。失われた子供時代が今戻って来たのだと思い、そこに深くを見い出さずに通り過ぎてしまうのは容易いことです。しかし、ここにシュタイナーのすべてがあります。シュタイナーが呼び起こす自分を見失った世界で、子供はそれほど大切に扱われていないこともあります。小人はあくどいこともしています。 |
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