ファンツは、私の記事「人智学とエコファシズム」にある人智学の描写は認められないと言う。ファンツは人智学を反人種差別、反国家主義および反右翼であると定義上確信しているのだから、私の著述を受け入れられないことに驚きはない。ファンツの個人的思想に口出しすることはできないが、実際の人智学の過去の記録とファンツの主張とはあいにく一致しないと言わざるを得ない。著者は、記事が出版されたために、いくどか議論を重ねる機会を得たところ、現在では自ら信ずる教義の歴史について、情けないほど知識の乏しい人智学信奉者が多いということに気づかされた。そこでファンツの主張に一部答える形で、さらに明確な視野をここに提示したいと思う。
ファンツは、人智学が反権威主義、反エリート主義、反人種差別で政党に無関係であるとしている。さらに私の記事が正統ではない「手法」によって書かれていると訴え、人智学とナチズムとの関係に別の解釈を述べている。それでは、ひとつずつ論点を検証してゆこう。
[1]権威主義。ファンツのいう人智学の性格は、ルドルフ・シュタイナーの教えと矛盾する。シュタイナーは個人の精神的成長と民族発展のためには、自分自身を「人類の偉大な指導者」の下に置くべきであると教示している。これに従うことができなければ、魂は精神的にも民族としても行き詰まる。」[2]この記述は権威崇拝の最も本質的な部分である。人智学は明らかに権威的な認識論に基づいている。批判精神や判断力は当然のごとく見下され、高邁な精神性への畏敬の念が重要視される。精神的な認識力を即座に得ようとする知的努力は斥けられる。
[3]
現代の人智学徒がシュタイナーの著作に対して概して無批判であることをみれば、権威主義の構造を何より物語っていると言える。シュタイナーの言葉を現代に具現するというファンツは、微塵の疑問もなく楽観的である。しかし、人智学には熱心な信者が改訂を重ね、教義を貫いていけるほど、しっかりした根拠はない。さらに言えばファンツの説くシュタイナーの教義「偉大な、魂を揺さぶる統一世界」とは、シュタイナーによるオカルト啓示に基づいており、人智学徒はそれを信じ込んでいる。こうした手法が理にかなっていないことは論理的評価も自己証明もできないことから自明である。人智学の見方からすると、「人智学の運動が起こったとき、シュタイナーの見解が問題になることはなかった。シュタイナーの死後、教義に追加することもほとんどなかった。」[4]シュタイナー自身が「秘儀の科学」と呼ぶ教義を掲げる団体が権威的性質を備えることは避けられない。
エリート主義。人智学の秘儀に基づく世界観では、秘儀参入者と非参入者との区別のほか、参入者全員が知識の階段を一歩一歩昇らなければならないという考えに本質的な根拠をおいている。ここにエリート主義に特徴的な考え方をみることができる。シュタイナーは、アーリア民族のなかでもドイツ人が精神的にもっとも進んでいるというドイツ人の文化エリート思想を持っており、ドイツ人には物質主義から世界を取り戻す使命があると考えていた。シュタイナーはこの点について言葉を濁さない。「一国家の文明がすぐに広がり、他の文明よりも精神的に大きな実りがあるというのなら、それが広がるべきものだからである。」[5]シュタイナーの説くドイツ国民に与えられた独特の使命は、社会教義のエリート主義と一致した。また経済に関する著作のなかで、もっとも能力のある者があらゆる決定を下す必要があることと「社会三層構造」は肉体労働者ではなく、生産を監督する知的労働者が運営するのがよいということを繰り返し力説している。[6]当然、民族に対する考え方には厳格な階級があり、精神的進化というエリート主義と結びつく。「国家や民族には真の人間性へ向かう途上のさまざまな発展段階が現れている。ひとりひとりが真に理想的な人間であろうと努め、肉体という仮の姿から永遠の霊的存在への道を歩むなら国家や民族は向上する。転生を通して人類がさらに高次の国家や民族に生まれ変わっていくことは段階的に自由に至ることである。」[7]
人種差別。今日の人智学信奉者は人種差別に反対している人が多い。そのことに疑いはない。しかし態度が望ましいからといって、人種差別に根をもつ教義に正直に向かい合おうとしないことが正当化されるわけではない。人智学の全体系はアカシャ年代記に包括的に書かれているほか、歴史、進化、民族に及ぶ予型論に基づいている。この予型論の鍵は根民族教義にある。人類家族を五つの根民族(主要民族はWurzelrassen, あるときはHauptrassen あるいはGrundrassen)に分け、遠い未来にはさらに二つの根民族が現れる。シュタイナーは著作のなかで最後にさらに識別しやすい国家という用語を使っている。民族を生物学的(シュタイナーは遺伝的という)かつ精神的に分類しているが、標準に中立的な分類ではなく精神発達度の順に五つの根民族に分け、アーリア人のなかでもドイツ-ノルディック人が階級のトップに位置する。この階級はシュタイナーの宇宙観に不可欠な要素である。
民族差別をそのままにしながら人智学の宇宙観を支える主な原典に、アカシャ年代記が今日まで残されているドルナッハで出版された現行版の序文では、民族差別にはさほど触れず、差別表現にはむしろ釈明や縮小が試みられてはいるが、人智学の組織ではこの本が基礎的な公式テキストに指定されている。[8]シュタイナー自身がこれを否定したことはなく、晩年アカシャ年代記は「人智学の宇宙観の基本である」と言っている。[9]今日でも、教師を目指す人には公式に薦められている本である。
シュタイナーと現代の弟子達は、人間性というものを階層化した根民族階級の外に置いているようだ。歴史家ヘルム・ザンダーは、シュタイナーの隠された民族理論は人智学の世界観に組み込まれていると言う。[10]
ファンツはこう述べている。シュタイナーは民族の分類などというものは、いつの日か完全に消えるだろうと言っている。そして今から六千年後の7893年までには、アーリア民族が世界を支配する。およそ千五百年後、民族を超越するときがやって来る。
人智学が民族優位思想から脱するには、まだまだ想像を絶する年月を待たねばならない。オランダの人智学権威による「人智学と民族の質問」には、シュタイナーによれば民族という言葉は五千五百年後には意味を持たなくなると報告している。[11]
シュタイナーがアーリア民族の概念を「後にナチの時代に考えられていたものとはまったっく別の意味」であると述べているというのも嘘である。この馬鹿げた概念は、19世紀のヨーロッパで人種差別主義者によって始められたときから、民族優位という不快なイデオロギーと切り離せないほど密接に結びついていた。そしてシュタイナー自身がこのイデオロギーを持っていたことは、黒人、東洋人、アボリジニ、ユダヤ人および非アーリア民族に対する数え切れない侮辱的な記述に明白に表れている。このアーリア民族主義はナチの民族理論指導者と詳細に至るまで驚くほど共通している。そして、さらにアーリア民族を古代インド人、ペルシア人(現イラン人)、エジプト-
カルデイア人(現イラク人の一部)、グレコ‐ローマン人およびゲルマン北欧人の五つに分けている。ナチの思想家、アルフレッド・ローゼンバーグはアーリア民族とはインド人、ペルシア人、ギリシャ人、ローマ人、ドイツ人およびスカンジナビア人を指すと言う。[12]アーサー
de
Gobineauも同じようにアーリア民族とはインド人、エジプト人、ペルシア人、ギリシャ人、中国人およびドイツ人を含むとしている。[13]リチャード・ワグナーはインド人、ペルシャ人、ギリシャ人およびドイツ人であるという原則を掲げている。そして、ヒューストン・スチュワートが考えるアーリア人とは実質的にシュタイナーと同じである。シュタイナーの定義するアーリア人が19世紀の民族主義者やナチの継承者の掲げるものと異なっても、特に重要な意味はない。
このような記述にもかかわらず、ファンツは「シュタイナーの著作には人種差別は見当たらない」と主張している。こうなると唯一残された結論はシュタイナーの文献を読んでいないか、差別に恐ろしく無知かのどちらかと思われる。典型的な差別とは「通りにでて移民を殺戮する」という考えを持つという愚かな表現をみれば、後者の可能性は充分ある。ファンツは善意の人間は差別をしないと信じており、差別というものを信条体系または思想体系として検証していない。殺人行為に及ぶことなどないこうした思想が現代社会に強大な有害影響を与えているという点がファンツの発想から抜け落ちている。今日のナイーブな人智学徒は、親切で優しいが外国人嫌いの暴漢と同じである。暴力的でもない、明らかに差別的または偏見に満ちているというのでもない。むしろ、その反対にみえる。だからこそ、その潜在能力は不気味である。「ソフト」人種差別および「ソフト」国家主義は物質的には満ち足りているが、思想的には不安定である中流階級の心に受け入られやすい。
人智学の政治的志向。「人智学は政治的志向をもたない」という主張は信じられるが、とても安心できるとは言えない。偽宗教世界観を取り巻く人にみられる、こうした政治に対する純真無垢が、現代の人智学信奉者の最も心配なところである。いずれにしろ、私は人智学徒がみな急進派右翼の熱心な活動家であると述べているのではなく、人智学の信条と極右翼政治志向の密着したつながりは、一世紀前にこの教義が生まれたときから明白であるとしている。ここに固いつながりがあったことは、現代ヨーロッパの極右主義にとっては中心的事実である。私の記事にある原典のほかに、興味のある読者は次に挙げるシュタイナーの急進右派の議論について参照されたい。ジョナサン・オルソン
“Nature and Nationalism”, フォルクマー・ウヲルク, “Natur und Mythos”, ペーター・クラッツ, “Die
Gotter des New Age“, レイナター・ペトリとコフマン, “Das Weltbild Des Rechtsextremismus“,
ベルニス・ローゼンタール, “The Occult in Russian and Soviet Culture“, ジャンとウエリング,
“Okologie von rechts“, ウド・シュック, “ormalisierung von Rechts“,
以上は辛辣で広く知られ現在の極右人智学異種であり、30年代から現代にやって来た一握りのドイツ人亡霊と言って片付けることはできない。
ファンツは、近頃亡くなった人智学徒で極右主義者でもあるワーナー・ハーバーベックが書いたシュタイナーを賛美した伝記を「人智学に対する厳しい攻撃」であり、「人智学運動を完全に拒絶」していると言い、ハーバーベックを人智学の敵であると決め付けている。これは定義上の議論である。ファンツは自身の主張を裏付ける証拠を提示していない。ただ、ハーバーベックの観点が自分と異なるということとハーバーベックが定義上、反人智学であるにちがいないと単に主張している。さらには、ハーバーベックの描く狂信的ドイツ国家主義者のシュタイナーとは「ばかげた歪曲」であると言う。ハーバーベックの本「ルドルフ・シュタイナー」は実際に政治的、道義的に恐ろしいものであるが、シュタイナーの出版物にはわずかな親しみを示しつつも、シュタイナーの国家主義について叙述した部分はみな正確である。
オーストリアのウィーンにいた頃、シュタイナーは汎ゲルマン運動の急進的な国家主義者であった。19世紀末の20年間に急進的ドイツ国家主義機関の発行物に十数件の記事を書いており、シュタイナー全集の31巻と32巻にも復刻されている。不快な汎ゲルマン運動の怒号は政治的にはっきりしており、シュタイナーが国家主義に悩まされていたというファンツの子供のような主張をあざけり笑う。シュタイナーの狂信的な国家主義は、優越感と民族偏見以外の何物でもなく、第一次世界大戦の開戦とともにヒステリックになっていった。それは戦時中の講演によく表れており、戦後の講演のなかでも、ドイツ国家主義を主張している。シュタイナーは、生涯自分の国家主義の活動を誇らしく感じていた。1925年には自伝にこの活動を好ましい出来事として回想している。
このような事実は、進歩的な信奉者にとって認めたくない事実であろう。自由派を自称するファンツより、極右派であるハーバーベックの方がはるかに的確にシュタイナーの思想を理解している。
ストーデンマイヤーの手法。ファンツは私の記事を取り沙汰し、出典を誤った引用または人智学の瑣末な部分にこだわっているとしている。人智学の歴史が長期にわたりファシストとネオ・ファシストの政治との共謀によって構成されているということは、はたして「瑣末なこと」なのかどうか、ここで読者の判断に任せたいと思う。また、出典についての当てこすりは、まったくの的外れである。ファンツが実際に引用文をもって申し立てたことは一度もない。私の記事は退屈で保守的な方法論によって書かれている。手法に対してこれほど先入観を持たれるとは実に不可解である。「人智学とエコファシズム」は歴史的背景を踏まえ、人智学批判よりも人智学の著作から多くを引用し、私個人の見解は相反する見解と併記している。学術書にスタンダードな書き方である。読者になじみのある出典が多く、論争を極力抑えた記事であることがわかっていただけることと思う。たとえば、歴史家アンナ・ブロウウェルが調査した人智学のプロ・ファシストの歴史を広範囲にわたって利用することは意識的に避けた。また、オカルト出典は人智学をけなしているものも含めて、どれも除外した。さらに、ファンツが、私が取り付かれていると考えている議論を連想して議論することの害に対しても、はっきりと警告している。
どんなに慎重に実証したものでも人智学に批判的な評価となると、ファンツは自動的に疑わしいものと決め付けてしまう。たとえば、私が“Volksseelen”に書いたシュタイナーの講演要約は「驚くべき、ふざけた歪曲」であると言う。ファンツはその講演を完全に反差別的であり、人間同士の相互理解を深める目的があったと言うが、人智学信奉者ではない人が同意するとは思えない。これは、むしろ、北欧人種のレンズで歪められた奇妙なキリスト教の優位性を受け入れ、ゲルマン人の大天使が背負う未来の使命を認めるかというひとつの論争を含んだ本である。[14]第3章は「民族の形成」、第4章は「民族の進化」と続き、この本の核である第6章には「人類の五つの根民族」がある。(1910年6月12日オスロ講演)ここでシュタイナーは観衆に向かって、アーリア民族の優位性を喚起し、ご丁寧に小アジア(アナトリア旧称)およびヨーロッパ人は白人として括ることを説明し、(p106) それから、白人種について数段落を費やしている。(p107) どういうわけか、ファンツはこの2ページの記述を「瑣末な部分」と呼んでいる。
この本を読むと、シュタイナーの真意から読者の注意を引き離そうとするファンツの空しい努力に誰もが気づく。しかし、胡散臭い国家の魂にある使命などというものを人智学信奉者がどのように理解したとしても、現代の極右主義者とファンツの解釈とは一致しない。極右主義者がアーリア人の優位性を説く他の本とともにシュタイナーの本を広めている。[15]
ファンツ自身の不注意な出典の扱いと比べると、私の出典への当てこすりは意味をなさない。ファンツは「シュタイナーは1920年にすでにナチズムに警告している(GA199P.161)。」と書いている。その出典には次のように書かれている。「このシンボル(かぎ十字)は、インド人や古代エジプト人が、神聖なブラフマンを語るときに使ったもので、今ではロシアの1万ルーブル紙幣に使われている。その頃政治を行っていた者が人間の魂に訴えかける術を知っており、かぎ十字の凱旋行進が何を意味するかを知っていたのである。ヨーロッパにはかぎ十字を身につけている人が大勢いるが、歴史の秘密を聞きたがる人はいない。[16]シュタイナーはソ連共産党員がかぎ十字を使うことを非難しているが、ナチズムには一言も言及していない。ナチ党はシュタイナーの演説の数ヶ月前に成立したばかりであり、その時は党員もほんの少ししかいなかったので、このことは驚きには当たらない。さらに、あの有名なナチの旗が作られたのは、その2年後である。[17]この段落を「ナチズムに対する警告」にしてしまうのは、何でも想像力で生み出す人智学徒だけであろう。
中略
人智学とナチズム。ファンツは「人智学はナチズムとはまったく相容れない。」と確信している。この見方は多くの学識者と相反する。たとえばフォルクマー・ボルクは、シュタイナーの根民族理論について、こう書いている。「この見方とオカルト民族主義運動とは、わずかな概念上の違いがあるだけである。」[18]ボルクの理論は、ジェイムズ・ウエブによる人智学と他のオカルト民族組織の関係を調査したパイオニア的著作のなかに、非常に詳しく証明されている。[19]この類の学識者がファンツには「批判的」に過ぎるというなら、シュタイナーに対する偏見のない歴史学者のニコラス・グッドリック・クラークの著作が好ましいと思われる。名著「ナチズムのオカルト根源」には、初期人智学と初期ナチズムには、顕著な相互影響があることが明らかにされている。[20]Gugenberger
およびRoman Schweidlenkaは批判眼を持つ秘儀者であり、シュタイナーには尊敬と賞賛の念を持っているが、やはり同様に、根民族教義は国家社会主義に「決定的な影響」を与えたと指摘している。[21]繰り返し力説させてもらう。「人智学への批判」ではなく、公平な目を持ち、歴史的記録を注意深く検証した調査家の結論である。人智学と国家社会主義とのイデオロギーの類似点、とりわけ秘儀と環境保護論者の異種を否定することは、ファシズムの理論的起源に無知であることを示す以外、何の役にも立たない。
ファンツは、ドイツ国家の権利の文化的歴史について専門知識が乏しいということがわかる。しかし、だからといって単なる知識不足の産物と斥けるつもりはない。むしろファンツの見方は、正確に言えば、歓迎できない歴史的事実をはぐらかす人智学信奉者の産物である。ファンツが言及する人智学とナチズムの話題は、現在自分たちが受け入れている知識を漫画化したもののなかから多く採用されている。また具体的な主張は、どれも人智学信奉者であるサード・レイとワーナーの共著による弁明ひとつから採られていると思われる。そして、明らかにシュタイナーへの偏向を持つワーナーの著作から引き出される根拠でさえ、ファンツ自身の主張とははっきりと矛盾している。
たとえば、1922年シュタイナーの命はナチに狙われたことがあると言う。この文章にはどこにも正しい部分がない。ファンツの指す事件は、暗殺などというものではなかったし、ナチは関わっていない。ところが、私の言葉には見向きもせず、ひたすらワーナーの記述を取り上げる。1922年5月12日、ルーデンドルファーの支持者がミュンヘンホテルで行われるシュタイナーの講演を妨害しようと計画し乱闘を起こした。しかし、ミュンヘンの人智学徒が事前に計画を知って未然に防ぐことができた。講演は無事終了し、小競り合いが起こったのはその後のことであった。人智学の勝利である。[22]ルーデンドルファーはナチではない。ナチのライバルである。そして、講演妨害は暗殺計画などとは程遠い。
ファンツは、ワーナーの本が人智学徒の絶対多数が根本的にナチズムと敵対しており、ナチズムと人智学とに重なる者はごく僅かであると示していると論及する。事実は、まったく反対のことが書いてある。ワーナーの本には、積極的な人智学徒でナチの構成員であった者の個人名が数え切れないほど挙げられている。そして、たびたび共謀が企てられたことや、ナチ軍隊へ強力な支援を行っていたことが著されている。
中略
最後にもうひとつまったく不可解なファンツの記述を挙げると、ヒトラー親衛隊員のフランツ・リパートを「人道主義者」に作り変えようとする無茶である。ダッハウ(ナチスの強制収容所があった)でのリパートの行為をごまかそうとするのは、「よいナチス軍」というものがあると誤った考えをもったためであろう。ファンツはリパートを赦免しようと行為のよい部分をいくつか引用しているが、その唯一の情報の出所がリパートの家族からのものであることに触れていない。
また、「ルール地方であった黒人兵士によるドイツ女性への暴行」という民族の信用を傷つけるデマを事実として繰り返していることには驚かされる。ラインとルールを混同していること(ルール地方に駐留したフランス植民地軍はなかった)を別にしても、80年前にでっちあげられたデマをいまだに信じている。このような暴行の噂はファンツの言うように誇張されて伝えられている。これはドイツ国家主義者の作り出したデマである。南アメリカにも同じ時期に同じような暴行の話があり、どちらも民族差別が作り出したものである。[35]やはり占領に反対していたジャーナリストが1921年に明らかにいいかげんなこの伝聞をすでに暴露している。[36]もしファンツの言うように、シュタイナーの無節操な発言の根拠がこの幼稚なプロパガンダにあることが事実ならば、シュタイナーの民族差別を少しも和らげることにはならない。このプロパガンダのもっともひどいパンフレットは、以下のように始まる。「白人女性を一列に並んで行進させ」「若い女性はアフリカの野蛮人の欲望を満たすために、通りから引きずり出された。」「白色人種の男女」に「白人女性にふりかかる可能性のあるもっとも不名誉なこと」から身を守るよう訴えている。そして、植民地軍を「動物的本能」をもった「有色人種の野蛮人」と記述し、「誰にも理解できない言葉をしゃべるアフリカの象牙海岸から来た黒人」で、暗いアフリカから来てフランス語をひとかじり学び・・・[37]ルドルフ・シュタイナーが額面どおり受取っているものは、この類のものである。弟子達が今日でも同じことをし続けるのには、さらに当惑させられる。
最後のこの過ちは、我々の書簡全体を要約している。ファンツは、ファンツ自身が記述する史実に無知であり、仲間から聞く心地よい神話に影響を受けやすい。ファンツのだまされやすい眼でみると、私の懐疑的なアプローチは、全体に人智学への正面からの攻撃にみえるであろうが、私の著作は概して攻撃などではなく政治的帰結をネガテイブな面からみた研究にすぎない。私は人智学とエコファシズムとの関係について、これとまったく同じ歴史的論議を上梓しており、さらにシュタイナーに好意的な立場から書いている。人智学は結局のところ、オカルト主義と合理主義、秘儀と実践、神秘主義とヒューマニズムといったものをつなごうとする試みであるといえる。しかし、この試みは両世界大戦間にドイツで失敗に終った。自らの政治的志向を無視し、最終的に大衆蛮行に堕した。この観点からみると、人智学の失敗は精神的解釈を持つ政策災禍のひとつの実物教育といえる。近代の後進者はこの教訓を糧にし、前進することと思われる。
しかし、現在ではこの教訓はいまだ学ばれていない。Göran
ファンツはシュタイナー教義の「偉大な、魂をゆさぶる統一世界」に深く取り込まれ、自身の批判機能を奪われており、人智学の人種差別、国家主義およびファシスト支持に対して、現代の人智学信奉者に典型的な気の進まない態度をみせる。批判を受けたように振る舞い、回避しようとするこの態度は、比較的リベラルな人智学信奉者と共通している。古くからある反対説を記述し、分析している情報源はすぐに手に入るものも多く、進歩的な人智学信奉者が無視し続ける理由は見当たらない。ファンツの返答は、歴史の否定というよりは、歴史をはぐらかし正々堂々と妥協を重ねてきた過去の変遷を拒否した実例である。人智学信奉者が道徳的責任の回避をやめ、自ら説明し始めるまで、啓発的で寛容な教義を象徴するという彼らの主張は、依然として偽善的である。